先日、家族で東京へ出かけました。土日を利用しての小旅行だったのですが、今回は少しだけいつもと違う展開がありました。というのも、長男だけが別行動で後から合流することになったのです。

彼は土曜日の午前中に学校行事があり、それを終えてから一人で新幹線と電車を乗り継いで東京へ向かう、という段取りになっていました。親としては多少の不安があったものの、「やってみよう」という気持ちが本人にも少しは見えていたので、思い切って任せてみることにしました。

長男は、どちらかというと慎重派。初めてのことには警戒心が強く、人混みもあまり得意ではありません。実際、出発直前には「Suicaってどうやってチャージするの?」「乗り換えってどこでするの?」と不安そうに何度も電話をかけてきました。その様子に、正直、まだ一人で移動するのは難しかったかもしれない…と感じる一方で、親がそばにいない状況でこそ育つ力もあるのかもしれない、と心を落ち着けて見守ることにしました。

笑顔で語った「もういいや、自分でやるわ」

そして数時間後、ホテルで無事に合流できたときのことです。顔を見た瞬間、安心したような、ちょっと不満そうな、でもどこか誇らしげな顔をしていた長男。彼の第一声はこうでした。

「ひどいわ〜、お父さんもお母さんも、降りる駅の名前がちがってて当てにならんかった!もう、いいや、自分で頑張るわって思ったよ!」

思わず笑ってしまうような言葉でしたが、その裏には、知らない土地で自分の力で目的地にたどり着いた達成感がにじんでいました。迷いながらも、自分なりにスマートフォンを使い、周囲の人に「この駅で合ってますか?」と尋ねながら、ちゃんと目的地に到着したのです。

これまでなら、「できない」「無理」「行かない」と尻込みしていたであろう状況に、彼なりの工夫と勇気で向き合った姿を見て、私は心の底から「成長したなあ」と感じました。

「手がかかる子」ほど、成長の一歩がまぶしい

長男は、小さいころから不安が強く、繊細な気質をもっている子でした。初めての場所、初めての人、慣れない手順に対して慎重すぎるほど慎重で、親が一緒でないと動けない場面が多くありました。ですから、今回のように「自分で行ってみる」と言い出した時点で、私にとってはもうすでに一つの大きな一歩でした。

子育ての中で、「この子は大丈夫かな」と感じる場面は何度もあります。そして、そうした子どもの特性に合わせて、つい先回りして手を差し伸べたくなるのが親心。でも、時にはその“手出し”が、子ども自身の「やってみよう」という芽を摘んでしまうこともあるのかもしれません。

今回、彼が一人で移動した経験は、きっと彼の中で「やればできる」という感覚を育てることにつながったはずです。そしてその経験は、今後また新しい挑戦に向かうときの心の土台になるのだと思います。

子どもは、ある日ふと育っている

日常の中では、なかなか子どもの変化に気づけないこともあります。宿題をさぼる、忘れ物をする、ちょっとしたことで「一人にしてくれよ!」と癇癪を起こす…。目に入るのは「まだまだ子どもだなあ」と思う部分ばかり。でも、ふとしたタイミングで、ぐんと背が伸びたような、そんな成長を見せてくれることがあります。

今回の出来事を通して、私はあらためて「子どもは親の知らないところで少しずつ育っている」ということを実感しました。しかも、私たちが心配していたよりも、ずっとしっかりしていて、ちゃんと自分で考える力を持っていたのです。

もちろん、完璧ではありません。うまくいかないこともあるでしょう。でも、「困ったら誰かに聞けばいい」「スマホを使って調べれば何とかなる」「失敗してもやり直せる」という体験こそが、実際に役立つ“生きる力”になっていくのだと思います。

「助けて」と言える親子関係をこれからも

成長するにつれて、親が子どもに手を出せる範囲は少なくなっていきます。それは少し寂しくもあり、でも喜ばしいことでもあります。けれど、手を離すことと、関係が遠くなることは別物です。私はこれからも、長男にとって「困ったときに頼れる存在」でいたいと思っています。

「困ったら助けて」と言える関係。それがあるだけで、人はずいぶん安心して冒険できるのではないでしょうか。子どもが少しずつ社会へと歩みを進めるなかで、その“安全基地”のような存在であること。それが、親としての私のこれからの役割なのかもしれません。

今回の旅で、長男が少しだけ「自分の足で立つ」ことを覚えたように感じました。そして、私は彼のそんな姿を、これからもあたたかく見守っていきたいと思います。